2004年 08月 15日
終戦の日に寄せて① |
今日は8/15、終戦の日。
1945年8月15日を境と、
日本の、日本人の何が変化したのかについて
考えたことを記そうと思う。
それは、生きる目的、価値が「天皇」から
「裕福」に変わったことではないだろうか。
戦前の日本人の目標は「天皇陛下のために死ぬ」ことだった。
そのためにおおくのひとが死んだ。
それに対し、戦後の日本人は裕福さを求めて生きるようになった。
経済成長のために日本人はひたすすんだ。
この変化には西洋の「神の死」に近いものが感じられる。
すなわち、西洋の絶対的価値だったキリスト教への帰依が
失われ、資本主義的成功が人々の価値、目標となったことと同義ではないか。
現在は、目標や価値が見えにくい時代だ。
絶対的だった経済成長神話がバブル崩壊によってくずれた。
「経済的裕福さ」の代わりに「心の裕福さ」が求められるようになった。
情報化の進展でコミュニケーションが希薄になった分、人は癒しを求める。
個人化によって、共同性が失われ、葛藤のない自分の王国を作って楽しむ。
そんなところではないだろうか。
以上、戦前戦後の分離と、現在の状況についての雑感である。
1945年8月15日を境と、
日本の、日本人の何が変化したのかについて
考えたことを記そうと思う。
それは、生きる目的、価値が「天皇」から
「裕福」に変わったことではないだろうか。
戦前の日本人の目標は「天皇陛下のために死ぬ」ことだった。
そのためにおおくのひとが死んだ。
それに対し、戦後の日本人は裕福さを求めて生きるようになった。
経済成長のために日本人はひたすすんだ。
この変化には西洋の「神の死」に近いものが感じられる。
すなわち、西洋の絶対的価値だったキリスト教への帰依が
失われ、資本主義的成功が人々の価値、目標となったことと同義ではないか。
現在は、目標や価値が見えにくい時代だ。
絶対的だった経済成長神話がバブル崩壊によってくずれた。
「経済的裕福さ」の代わりに「心の裕福さ」が求められるようになった。
情報化の進展でコミュニケーションが希薄になった分、人は癒しを求める。
個人化によって、共同性が失われ、葛藤のない自分の王国を作って楽しむ。
そんなところではないだろうか。
以上、戦前戦後の分離と、現在の状況についての雑感である。
by itsuky
| 2004-08-15 22:49
| ひとり言