2004年 06月 09日
開き直り論と自己責任論 |
最近の小泉総理の口癖といえば、
「おかしいと言うほうがおかしい」と
「そういう人もいるんでしょうね」ではないだろうか。
これらの言葉は、すなわち
「自分は自分、他人は他人だから、自分は他人の行動に口出ししない。
その代わり他人が自分の行動にけちをつけるな」という論理だ。
この小泉総理の論は権力者の立場(特に与党の党首として)で、
批判を受け流すことのできる有力な論といえよう。
すなわち、野党からの追求を受け流すことができ、
そのうちにマスコミのあら探しによって
今回の年金問題のように追求する側(野党)の傷が見つかり、
批判は総理の側から逸れていく。
この「開き直り論」は、追及者を尻込みさせるものとなろう。
そして国民は追求合戦に嫌気がきて投票を棄権する。
低投票率なら、公明党と利益団体の集票マシンによって
政権は安定である。
そういえばこれに似た論理がある。イラク人質事件で話題となった
「自己責任」論である。
これは総理の論と立場は反対であり、
追求する側が当事者の行動を批判する際に用いる。
すなわち、「リスクの高い行動をするならば、その責任は自分で負え」
というものだ。
この論の底辺にあるのは「人様に迷惑をかけてはならない」という
日本人的美的感覚であり、この論についての論評は割愛するがそれなりに
世論は共感したようだ。
そこでもう一度小泉総理の「開き直り論」に戻ろう。
最近小泉総理が追求された問題は「年金未加入」、「カラ勤務」であるが、
これについては倫理的問題はあるが、「人様に迷惑をかける」要素は少ないので
「自己責任論」の適用はいささか難しいと考える。
しかし、「再訪朝」については国民に、そして拉致被害者に
大きな影響を及ぼすので十分に適用が可能である。
つまり、「総理の行動はおかしい」という批判は受け流してもいいが、その代わり
「総理の決断で訪朝したのだから、その結果については総理が全責任を持つ。」
べきである。責任転嫁や言い逃れは許されない。
政治家は自分のとった行動に関しては責任を取るのは当然である。
そして特に小泉総理は「開き直り論」を振りかざすからには、
政治家としての「自己責任」も背負わなくてはならない。
そしてその審判者として国民もまた
政治に注視する「自己責任」があることも忘れてはなるまい。
「おかしいと言うほうがおかしい」と
「そういう人もいるんでしょうね」ではないだろうか。
これらの言葉は、すなわち
「自分は自分、他人は他人だから、自分は他人の行動に口出ししない。
その代わり他人が自分の行動にけちをつけるな」という論理だ。
この小泉総理の論は権力者の立場(特に与党の党首として)で、
批判を受け流すことのできる有力な論といえよう。
すなわち、野党からの追求を受け流すことができ、
そのうちにマスコミのあら探しによって
今回の年金問題のように追求する側(野党)の傷が見つかり、
批判は総理の側から逸れていく。
この「開き直り論」は、追及者を尻込みさせるものとなろう。
そして国民は追求合戦に嫌気がきて投票を棄権する。
低投票率なら、公明党と利益団体の集票マシンによって
政権は安定である。
そういえばこれに似た論理がある。イラク人質事件で話題となった
「自己責任」論である。
これは総理の論と立場は反対であり、
追求する側が当事者の行動を批判する際に用いる。
すなわち、「リスクの高い行動をするならば、その責任は自分で負え」
というものだ。
この論の底辺にあるのは「人様に迷惑をかけてはならない」という
日本人的美的感覚であり、この論についての論評は割愛するがそれなりに
世論は共感したようだ。
そこでもう一度小泉総理の「開き直り論」に戻ろう。
最近小泉総理が追求された問題は「年金未加入」、「カラ勤務」であるが、
これについては倫理的問題はあるが、「人様に迷惑をかける」要素は少ないので
「自己責任論」の適用はいささか難しいと考える。
しかし、「再訪朝」については国民に、そして拉致被害者に
大きな影響を及ぼすので十分に適用が可能である。
つまり、「総理の行動はおかしい」という批判は受け流してもいいが、その代わり
「総理の決断で訪朝したのだから、その結果については総理が全責任を持つ。」
べきである。責任転嫁や言い逃れは許されない。
政治家は自分のとった行動に関しては責任を取るのは当然である。
そして特に小泉総理は「開き直り論」を振りかざすからには、
政治家としての「自己責任」も背負わなくてはならない。
そしてその審判者として国民もまた
政治に注視する「自己責任」があることも忘れてはなるまい。
by itsuky
| 2004-06-09 02:38
| 政治